出版物のご紹介
昭和7年創刊の「短歌詩人」のち「龍」が刊行している合同歌集。
現在は4年に一度、定期的に出版されており、今年の『楷』には
376名の同人・会員がこれに参加、各々の自選15首を掲載している。
2016年11月刊。
老いて今過疎の村にて時に風時に日射しを友として生く
妻と共に生き来し年月数へつつ稲の穂に降る雨を手に受く
徳島県食品加工試験場の研究員を退いた後、妻と二人農に生きた著者。
一周忌の法要にと、家族によって編まれた第一歌集であり遺歌集である。
歌誌「水甕」掲載歌より妻と娘等が選歌、長女の娘・宇野香名子氏が装画を
次女の夫・永山俊一氏が装幀を担当し、家族の愛に満ちた歌集となった。
2016年10月刊。
寄す波の昼静かなる町に来て夫と訪ねし潮騒を聴く
夕べくりやに独り遊びをするごとく胡瓜を揉めば胡瓜が匂ふ
倉敷市南端の下津井に生まれ、児島に住む著者は、27年前に夫を亡くし
魂鎮めにと短歌を詠むようになった。寄せては返す波のように、亡き夫を
悼み、独りの暮らしを寂しみ、ときには華やいだ気持ちで街に出て行く。
2016年10月刊。
いく曲がり曲がりて登りつめたる上は平らに展けて葡萄畑広し
夫を亡くし、息子を亡くし、跡継ぎの無いことを嘆きながらも
著者は葡萄を作り続ける。80歳を過ぎてパソコン教室に通い、
旅をして、女子会や歌会に行き、それをブログに公開する。2015年12月刊。
題字:小見山輝。
ざわざわと硝子戸の向かうにゆれてゐる大いなる影はパンダヌスの森
雲が街を光と翳に区切りゆく死はさながらに他人事に似て
「辞世とは生きる人への礼儀だ」と言った鶴見俊輔の言葉を借り
著者は、自分の言葉を残すために短歌を詠む。2015年12月刊。
装画:田中一村。
いつよりか入相の鐘も聞かずなりわれは老いゆく白華山のもとに
良寛が来、修行した白華山円通寺の北麓に著者は住む。第三歌集との間に、長男との別れもあった。日々の喜びも悲しみも、自身と夫の老いも、ふるさと白華山に包まれている。2015年7月刊。
製煉所にわが入社せし日「太郎煙突」はもくもくと煙吐きゐし
玉野市日比には太郎・次郎・三郎と精練所の高い煙突が立っている。
日比精練所に長く勤めた著者は40年以上を煙突を眺め煙突に支えられ過ごしてきた。
2015年7月刊。装画:井関古都路
生んでくれてありがたうと言うてくれし子が私を残して逝つてしまうた
親不孝でと詫びて逝きし子の祭壇に「バカタレ死んで」と夫が泣きをり
「孫たちのことは任せ」と言うたからには夫よ元気に生きねばならぬ
若くして逝った子への嘆きが哀しい。2015年3月刊。装画:Chiura OBATA
(小圃千浦)
白い日傘の母の面影白砂のなぎさの道は黄泉までつづき
三十代、海外旅行中の不慮の事故で夫を亡くし、ひとり子供達を育てた著者。
現し世と彼の世を往き来しているような歌、鸚哥と会話する歌もあり
不思議な世界を描き出している。2014年12月刊。装画:立嶋滋樹
大阪のビル街を飛ぶ飛行機にも見慣れつつ物干す娘の家に来て
我が許に帰りこぬ子と予感しつつ福岡タワーにて友に珈琲を飲む
岡山に暮らし、子らと分かれ住む著者。子を訪ね、旅へ行き、
「見知らぬ街」に不安を感じつつもどこかで楽しんでいる。2014年11月刊。
装画:前田優光。
吾宛の年賀状には「よろしく」と夫のくれたる年賀状がある
子がなく、夫との二人暮らしだったため、夫とは「家族」というより
友達・同士のような関係であったかも知れない。ユーモアを交えた
二人の関係は楽しく、それだけに夫の死は悲しい。2014年9月刊。
2015年日本歌人クラブ中四国 優秀歌集受賞。
山道を登りつつ思ふわが位置は夫のひだり猫の右なる
夫を亡くし、猫と暮らす著者。死後も自分の位置は「夫のひだり」にあると感じている。
独り身の寂しさを感じながらも、猫や、庭を横切る狸、畑で遭遇する猪などとも親しく暮らしている。2014年6月刊。
装画:井関古都路。
一面の青田の稲をそよがせて祭りのやうに風が吹き渡る
生まれ育った古い港町・虫明や、結婚後暮らしている倉敷の街の
自然や伝統文化に親しんでいる著者。素朴ながら大胆で繊細な描写に現れている。
2013年12月刊。
植ゑ替への日を間違へたかと花に問ふ北風に強く押さるるひと日
子育てが一段落した頃、「その時々の感動を残したいと考え、表現方法として短歌を選んだ」という著者。
夫をはじめとする大切な人たちへの鎮魂歌でもあるという。出会いと別れの歌集である。2013年12月刊。
海波の色もあたらしき元旦なりガラスの如く光る瀬戸内海
小学校教諭として勤めていた時期の第一章では、子どもへの優しい目があり
退職し、農の仕事に明け暮れる第二章では、自然の摂理に従って生きる著者の姿がある。2013年12月刊。
皇帝ダリアがぐんぐん伸びて晴るる朝生きる力が漲りてくる
著者は1年掛けて皇帝ダリアを題材にキルトの大作を作った。
歌集も『皇帝ダリア』と名付け表紙にキルト作品を使用している。
ダリアの明るさ、強さに自らの生を投影する著者がいる。2013年9月刊。
ストレスは無いかと問はれて苦笑を返す介護即ち夫との蜜月
早乙女も芭蕉も去りし田一枚に映る白雲「遊行の柳」
前年亡くなった夫の15年間にわたる月日を「蜜月」と言う著者の潔さ。
自らの存在を非在の物として位置づける巧さがある。2013年5月刊。
装画:Kandinsky
街燈の淡き光に浮きいでてこの白き影はすひかづらの花
網膜の病のため、極度の弱視の中で生活をし、歌を詠み続ける著者。
ぼんやりと見える白い影にも花の美しさを感じる力を携えている。2013年4月刊。
また会へる日はいつならむ兄乗せし自動車を見送る海に沿ふ道
ハンセン病回復者である著者が自ら「隔絶の島」と呼ぶ長島での暮らし。療友の死、重い後遺症、ふるさとや家族への思いを三一音に託した魂の叫び。2013年3月刊。
旅のつづきの旅の生(よ)なれば芽吹き来る大根のみどりも淡々として
平成18年刊の第一歌集『光を捜す』以降の歌をまとめ、和綴じ本とした。著者は、現実の旅の中で心の内なる旅へ出る。2012年12月刊。
乾きたる落葉を蹴散らす楽しさよ操山からこの世に戻る
家族の転勤で全国を転々とした著者は、操山の麓に住まい始めてから「ふるさとを得た」という。山の木々や鳥、岡山の街、世界各地への旅、家族を詠った20年の軌跡。2012年12月刊。
太陽が五つ輝く夏ま昼白い陶器を微塵に砕く(曼陀羅草紙)
体に聞く/流れくだってきた/億千の時間の/水の感触(光と闇と風と-四行のうた)
文語定型歌から自由律の現代語歌「四行のうた」へ。著者の10代から60代に亘る変遷を既刊5冊の歌集で辿る。2012年1月逝去後に家族によって編まれた遺歌集。2012年3月刊。
砂川の堤に独りかがまりてかそかなる水の音を聞きをり
夫の命日には毎年水仙の花が咲き、花を見るたびに夫を思い出す。亡き人々を思いつつも、ある意味気楽な独り居を楽しんでいる著者の日々がきめ細やかに描かれている。2011年12月刊。